《49》東半分が消滅した 五津城

全景

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 残念ながら城の東側は、広域農道により遺構は消滅したかと思われます。
 

2重空堀

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 登城口から入ると、すぐに2重の空堀に出くわします。 この空堀は主郭を回りこみ
U字型に南へ下っていました。主郭の北~東側は空堀も大きくなっています。

主郭北側にある櫓台

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 主郭の北側半分が櫓台となっていました。 ちょうど城の中心の位置にあります。

西側の郭群

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 西側は、内側の空堀は主郭の南側に入り込み、外側の空堀は写真のように下っています。
その空堀に沿って3段の郭が配置していました。 おそらくこの城は、松永久秀が宇陀
侵攻の陣城として築き、多くの兵を駐留させたのではないかと思います。

登城口

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 登城口は写真の位置から入ります。 すぐに急な登りになりますが、そこが2重空堀
の間になります。

所在地 宇陀市大宇陀区五津
形式 丘城
高さ 標高360m 比高35m
規模 南北75m 東西55m
築城年代 戦国時代
築城者・城主 不明
遺構 郭・空堀・土塁


登城日 2007年11月13日(火)

【参考サイト  奈良大和路「気分はコクジン2」】
http://gfi401.fc2web.com/narakokujin2-191.htm