今西家書院(重要文化財)
今西家書院は永く興福寺大乗院家の坊官を努められた福智院氏の居宅を大正十三年に顧われて今西家が譲り受けました。一説には大乗院の御殿を賜り移建したとも伝えられています。 昭和十二年八月二十五日、京都の二条陣屋、大阪の吉村邸と共に民間所有の建造物として初めて国宝の指定を受けました。 江戸時代に一部改造が行われているという理由で戦後、重要文化財となりましたが、銀閣寺の東求堂と同じく室町中期の書院造りの最も古い遺構を残しているといわれています。昭和十三年には柱全部に根継ぎを施し、北側庇及び屋根の葺替えが行われました。昭和五十三年九月から五十五年四月まで大規模な解体修理を行い、現在に至っております。 書院造りは上段・中断・下段と部屋に段差が設けられ、柱の面取りが室町時代の特色をあらわしています。 【パンフレットより抜粋】
花だより しだれ桜(4月初旬) 萩(9月) 紅葉(11月中旬) 椿(12月中旬~3月頃)
上段の間 = 室町当初は一つの板敷きの間で接客や謁見・会議や書類の作成等多目的に使われました。
江戸以降、床の間を造り畳を敷きました(御殿敷き)が、元の姿に戻せるよう鴨居も敷居 も取り外す事ができます。ゆえに欄間がありません。
貼壁 = 中塗り壁に木枠を取り付け、その上に和紙を何回も貼り重ねた壁です。
江戸以降、床の間を造り畳を敷きました(御殿敷き)が、元の姿に戻せるよう鴨居も敷居 も取り外す事ができます。ゆえに欄間がありません。
貼壁 = 中塗り壁に木枠を取り付け、その上に和紙を何回も貼り重ねた壁です。
一本の溝に二枚の障子がはまっています。猫は一本の線上を歩くと言われ、なぞりが確かであるということからこの名前がつけられました。 出来るだけ光を取り入れるため、障子には腰板部分はなく、開けると一枚の大きな障子に見えます。
この日は休館日だったのですが、私達が来る前に予約があってたまたま開けていたとの事でした。
だから完全貸切状態。ガイドの奥様が付っきりでお相手してくださいました。
調度、入母屋造軒唐破風切妻造檜皮葺きを張替えている所で、立派な構えが見ることができなかったのが残念です。
だから完全貸切状態。ガイドの奥様が付っきりでお相手してくださいました。
調度、入母屋造軒唐破風切妻造檜皮葺きを張替えている所で、立派な構えが見ることができなかったのが残念です。
■撮影日 2008年3月3日(月)