水落遺跡
日本書紀に斉明6年(660)、中大兄皇子がはじめて漏剋(水時計)をつくったと記されています。
この水時計を据えた時計台の遺跡が、飛鳥寺の西方、甘樫の丘の北東の裾野で発見されました。
貼石のある四角い土壇に、4間四方の楼状建物が建ち、土壇をつくる途中で礎石を据え、礎石間には
自然石を連結した、地中梁工法ともいえる堅固なつくりとなっています。
建物と一体で黒漆塗りの木箱、木樋暗渠、枡、銅管など、水を使用するいろいろな仕掛けがつくら
れていました。
この水時計を据えた時計台の遺跡が、飛鳥寺の西方、甘樫の丘の北東の裾野で発見されました。
貼石のある四角い土壇に、4間四方の楼状建物が建ち、土壇をつくる途中で礎石を据え、礎石間には
自然石を連結した、地中梁工法ともいえる堅固なつくりとなっています。
建物と一体で黒漆塗りの木箱、木樋暗渠、枡、銅管など、水を使用するいろいろな仕掛けがつくら
れていました。
すごいですよね、この時代に時計があったなんて。 また、時計が必要だったという事が人間の偉大さを感じました。 この時代から、人々は時間に追われて生活していたのでしょうか?
■撮影日 2007年7月17日(火)