龍田大社(風鎮祭) 神事編
龍田大社は、奈良県生駒郡三郷町にある神社であり風の神(風神)として古くから信仰を集めています。 この風鎮祭は、夏の行事のはじまりとして半年の厄払いと新たなはじまりを迎えるお祭として、7月の第一日曜日に開催される行事です。
【祭神】
天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)を祭神とし、
龍田風神と総称される。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は
級長戸辺命(女神)のこととされている。
天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)を祭神とし、
龍田風神と総称される。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は
級長戸辺命(女神)のこととされている。
【歴史】
『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田に祀らせたとの記事が初見である。『延喜式』では名神大社に列し、二十二社の一社とされた。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に龍田神社として官幣大社に列した。
『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田に祀らせたとの記事が初見である。『延喜式』では名神大社に列し、二十二社の一社とされた。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に龍田神社として官幣大社に列した。
社務所の屏風
半夏生の花
この植物は半夏生と申します。ドクダミ科の多年草で水辺に多く生ずる植物です。
夏至から十一日目を半夏生と言い、この頃に先端の葉が半夏生の頃に執り行われる為に地元では風鎮祭『ハゲショ・ハンゲショ』とも呼ばれております。
先端の葉が徐々に白くなり花が咲くと梅雨も終わりに近づき風鎮際が斎行されます。
夏至から十一日目を半夏生と言い、この頃に先端の葉が半夏生の頃に執り行われる為に地元では風鎮祭『ハゲショ・ハンゲショ』とも呼ばれております。
先端の葉が徐々に白くなり花が咲くと梅雨も終わりに近づき風鎮際が斎行されます。
龍田大社拝殿
みのむしが写っていましたよ。
巫女さんが、舞を披露。
柳生新陰流との繋がりはわかりませんが、この方・・・結構ご年配にもかかわらず、切れのある居合いを披露・奉納くださいました。
午後1時~午後4時まで、一般者の龍田神楽奉奏を行っています。
一組一組、丁寧に神楽を舞い、御払いをおこなっておられました。 ご苦労様。
一組一組、丁寧に神楽を舞い、御払いをおこなっておられました。 ご苦労様。
■撮影日 2008年7月6日(日)