化粧川化粧壺の旧跡
長谷寺をあとにし、行くあてもなくバイクで針を目指していると道路脇に『化粧壺』の案内板を目に
した。。。。。
なにがあるんだろう? 化粧壺。。。。。 なんか興味が湧き、化粧壺へ
途中何ヶ所かに『化粧壺』の矢印がある。
なんか期待に胸ふくらまし、へんぴなところに『化粧川化粧壺の旧跡』と書かれた板を発見。
目の前には畑があり、どう近ずいていいかわからない。。。。
ぐるりと歩いてみても入口らしきもない。。。。
小さな扉らしきを発見。 鍵が掛かっているが、その門を跨ぎ畑の畔をあるいて立て看板まで行って
みた。 。。。。。 。。。。。ん。
何も無い。
結局、その時は何もわからず写真だけを撮って帰って来た。
せっかく一眼レフで撮ったんだから、もっとそれらしく撮ればよかった。
帰って調べてみると、どうやら天神社のリーフレットにこんなことが書かれていた。
【化粧川と化粧壷の由来】
大字修理枝に字化粧川あり、修理枝川の上流にあって古は田地なくして広々とした天然地磐岩で、凹んだ溜りあり、実に清浄なる所で、年経ると共に田地が延びて川幅狭くなり、化粧壷という岩のみ現われる。この水源は小夫山中より流れ出て、修理枝を経て小夫と笠との境を通じて大和川(泊瀬川)に合流する。
上古、天照皇大神宮に奉仕された、豊鍬入姫命の御化粧ありし所、又大来皇女命御禊の旧跡と云う。
上古、天照皇大神宮に奉仕された、豊鍬入姫命の御化粧ありし所、又大来皇女命御禊の旧跡と云う。
ん。。。。 ようわからん。
もうちょっと調べてみると、
夏四月…、大来(おほく)皇女を天照太神宮(あまてらすおほみかみのみや)に遣侍(たてまだ)さむとして、泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)に居(はべ)らしむ。是は先づ身を潔(きよ)めて、稍(やや)に神に近づく所なり。 (日本書紀 天武紀)
とあった。
ん。。。。 化粧壺 ようは清めの水ということなのだろうか。。。