正暦寺
正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)にある寺院。
菩提山龍華寿院と号し、奈良と天理の間の山あいに位置する。菩提山真言宗の本山(単立寺院)。「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。山号の菩提山は、奈良の東山一帯を釈迦修行の聖地に見立て、鹿野園(ろくやおん)・誓多林(せたりん)・大慈山(だいじせん)・忍辱山(にんにくせん)・菩提山と名付けた五大山の一つである、菩提山に由来する。
菩提山龍華寿院と号し、奈良と天理の間の山あいに位置する。菩提山真言宗の本山(単立寺院)。「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。山号の菩提山は、奈良の東山一帯を釈迦修行の聖地に見立て、鹿野園(ろくやおん)・誓多林(せたりん)・大慈山(だいじせん)・忍辱山(にんにくせん)・菩提山と名付けた五大山の一つである、菩提山に由来する。
往時には、報恩院以下86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院であったが、治承4年(1180年)に、平重衡による南都焼き討ちによって焼失した。
また、報恩院家が開山の兼俊僧正の別院として寺務を管轄し、安養院と別院仰接院は浄土宗の念仏道場となった。
江戸時代に入り、慶長6年(1601年)には寺禄は約1000石を数えていたが、応仁の乱後に再興された82坊によって、往時の様を取り戻していた。本堂、三重塔、護摩堂、観音堂、地蔵堂、灌頂堂、鐘楼、経蔵、如法経堂、御影堂、十三重塔、弥勒堂、六所明神、鎮守などの堂塔伽藍が建ち並んでいたという。
寛永6年(1629年)、堂塔伽藍が焼失、300石の朱印地を与えられることとなった。
□重要文化財
福寿院客殿・台所(1棟) - 延宝9年(1681年)
金銅薬師如来倚像-正暦寺本尊。奈良時代前期。
増壱阿含経力品
青磁鉢(南宋龍泉窯)附:瓦製鉢
国立歴史民俗博物館所蔵の「大安寺資材帳」(重要文化財)はもと正暦寺にあったもの。
金銅薬師如来倚像-正暦寺本尊。奈良時代前期。
増壱阿含経力品
青磁鉢(南宋龍泉窯)附:瓦製鉢
国立歴史民俗博物館所蔵の「大安寺資材帳」(重要文化財)はもと正暦寺にあったもの。
日本清酒発祥地
正暦寺の石碑が立つ手前と、本堂に登る階段の横にありました。